ふらり日帰り一人旅二〇〇九 〜姫路城攻略編〜

ページ分けが面倒なのでぶっ通しです。ある程度、覚悟してご覧ください。(苦笑)
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2009年3月5日 朝

「はじまりは、いつも」


朝。
けたたましく鳴り響こうとする目覚まし時計を、神速の手さばきで止める。
時刻は朝8時。
ここ最近の起床時間より二時間早い目覚めに、そのままの姿勢で物思いにふける。

何でこんな早く起きるんだっけ?

今日はバイトは休み。11日に入る代わりに休みにしてもらったんだ。
するとどこかに行こうとしていたのか。
本屋は今読んでる本以外に山ほど読むべき本があるからいいとして・・・・・・
今月は多めに引き出したおかげで懐に余裕があるんだよな。
そうか。
寝ぼけた頭にひらめく。

姫路城に行くんだった。

おおあくびをしてから、もそもそと起きだす。 時刻は午前8時10分。
思えばこの10分のロスが、ドタバタ旅行の引き金を引いてしまっていた。

晩飯の残りで朝食を済まし、朝の恒例行事をこなしていく。
時刻は午前9時。
この時点で、姫路城―神戸海洋博物館ルート、もしくは、姫路城―神戸空港ルートの双方が消滅。
後々のことも考えて、姫路城攻略一本に絞ることに。
電気カーペットのスイッチを入れ、コタツ兼パソコンデスクの中に服を放り込み、パソコンの電源を入れる。
どうも、9時28分発の特急には乗れそうにないので、9時46分発に目標を定める。
こういうときは快速急行の存在が微妙だ。新3000系に乗りたくても、特急より遅いのでは意味がない。
もそもそと着替え始める。
時刻は9時25分過ぎ。いける。
と思ってジーパンに足を通すと、なぜか急に尿意が。
用を足して最終チェックをして急いで出かける。時刻は9時34分。うわっ微妙。
久々の晴れ間を眩しく感じる余裕もなく、そそくさと駅へ向かう。
はじまりは樟葉駅

乗り遅れた。
改札前に着いた時は、案内板に「特急」の二文字があったが、切符を買って改札を通ると、真っ黒になってた。
完敗。 10分起きるのが遅いばっかりに、10分電車待ち。
向こうに着くのは12時半くらい。 お金もそんなに余裕がないし、昼飯は我慢しよう。

30分電車に揺られ、終点・淀屋橋で乗り換え。
淀屋橋と言えば去年の夏、「第一回 関西リアル桃鉄大会 〜大阪夏の陣〜」での因縁の場所。
ここで乗り換えに手間取らなければ・・・・・・なんてシーンを思い出しながら、最適なコースで乗り換える。
最短コースだったのに、地下鉄御堂筋線のホームに下りると、新大阪行きが今まさに出る寸前。
駆け込み乗車で何とか乗り込む。写真撮る暇なんかありません。
今まで乗ってきた中で、一番かっこいい警笛が大阪市営地下鉄な私は、鉄道ファンとしてはまだまだなのでしょうか。
そうか、俺って警笛が好きだから鉄道好きなのかも・・・・・・とか思う間もなく梅田駅で乗り換え。

今回の私は阪神電車な気分。
阪神梅田―高速神戸―山陽姫路の長い長い直通特急が今回の私鉄のメイン。
事前に調べたところでは、一時間半の旅程。ずっと座りっぱなし。
初乗車の山陽電鉄5000系に乗り込む。
ここでも出発ぎりぎり。 携帯で撮影を試みて失敗。 ええい、微妙な性能が無駄すぎる!
阪神の車掌さん。手慣れた感じで聞き取りやすい。
路線図がないのでどこをどう走ってるか大雑把にしかわからないが、とにかくカーブが少ない。
気が遠くなるくらい、延々と直線が続く。京阪みたいに加減速がそんなに頻繁じゃないので、乗りやすく感じる。

何の感動もなく三宮を過ぎ、神戸高速鉄道線へ。 阪急線以外は全部地下の路線だが、妙に駅が暗い。
高速神戸駅や新開地駅はとにかくカオス。
駅構成も複雑だし、阪神電鉄・阪急電鉄・山陽電鉄の三社の列車が同じホームに入れ替わり立ち替わり入ってくる。
神戸高速鉄道自体は車両も乗務員も存在せず、駅と路線だけを提供して、阪急・阪神・山陽・神戸電鉄(神鉄)を相互接続させるための第三セクター。
神戸でリアル桃鉄も楽しそうだなぁ、とか思ったりしました。

トンネルを抜けると、左側は須磨の海。
JR線と並行しつつ、山陽電鉄本線をひた走る。
山陽電鉄の停車駅が多い。 これでもかと停車する。
明石海峡大橋をくぐってさらに走る。だんだん朝の眠気が・・・・・・。
気付けば車内は私一人。 車窓はどんどん田舎っぽく。 乗る人いないんだなぁ。
高速神戸駅で乗務員が山陽電鉄の人に交代したのだが。
この人のしゃべり方がおかしい。
「この駅で『ひゅちゅしゃ』に接続します」
は? なんのこっちゃ? と思って反対側のホームを見ると「普通車」の文字。
どうやら「各駅停車」のことを、列車種別に従って「普通車」というみたい。 微妙な文化の違い。
それにしても、ちゃんと伝えよう、という意志があるのだろうか。
スーパーでの応対でこうならないように、自分も気をつけねば、と思う。

着いた!
おぼつかない足取りで改札へ。
さっき撮りそこなった電車の写真も忘れずに。
山陽電鉄5000系?
どことなく、JRっぽく感じるのは気のせいだろうか。

すげー適当な案内板に従って、大手前通りを歩く。
ここでも写真を撮り忘れたが、駅前の大手前通りはすごく広かった。
国宝&世界遺産のおひざ元だけあって、よく整備されている感じ。
大手前通りと交差する形で、ふたつの商店街がわずか二、三百メートルの間隔で並んでました。
競合してそうだと無駄に心配。
何故か一方通行な国道二号線を越えたところでようやく今日の目的地のお出まし。
の前に見つけた地図を撮影。
地図の撮り方を工夫せねば
遠目に見ゆる、あの屋根が姫路城か!
街路樹でよく見えないがどうやらそうらしい。
自然と速まる足。 なぜかつまずく我が足。
そうして、うっとうしい街路樹を抜けると・・・・・・
国宝
いきなり真正面に天守閣が!
周りにビルなど高い建物がないせいか、大阪城よりずっと高く見える。
白い漆喰と、醜い展望台のないすっきりとした天守閣上層部に思わず見とれてしまった。
よくぞ、明治維新と太平洋戦争を生き残ってくれた、となんとなしに感謝する。


2009年3月5日 午後12時30分

「いざ、攻略」


姫路城前交差点を渡って、いよいよ姫路城の敷地へ。
目の前の内堀にかかる木橋と言い、大手門らしき門と言い、妙に新しく感じて首をひねる。
実際、お堀端の案内板によると、大手門は昭和の大修理(戦前)で再建されたもの、その前の桜木橋は発掘調査の調査結果をもとに最近復元されたものなんだとか。
「なぁ〜んや」と写真は撮らず。 すみませんテキトーなやつで。
お堀を泳ぐ鯉に「おぉ、釣りたい」とか無粋なことを考えつつ、大手門をくぐる。 なんだかんだでよく作ってあります。
大手門をくぐると、三の丸広場に出る。
石垣にそびえる五層大天守がお出迎え。
三の丸
手前に見ゆるは集合写真の足場。 写真の外では、これを生業にしてるらしいおっちゃんがカメラを弄ってました。
ちょうど幼稚園の子供たちが来ていたようで、お弁当の時間を迎えていました。 遅めに来てよかった、と少し安心。
ここは三の丸なので、城詰め武将たちのお屋敷や、「本城」と称する城主の屋敷、藩庁の建物があったはずですが、ほかの城と同じように明治維新後に置かれた陸軍によって破壊されてます。
ロクに知識もない田舎侍が、ただ自分たちにとってじゃまだから、古い建物をぶっこわす。 私が明治維新前後を嫌う理由の一つです。 日本人の特性のひとつとも言えますがね。

さすがは世界遺産。 あちこちにいる外国人と並んで、こちらもカメラを構える。
日本人は観光地ですぐに写真を撮りたがる、とよく言いますが、京都や奈良を訪れる外国人を見ていると、彼らも似たようなもんだと感じます。
すきっ腹を気合いでねじ伏せ、600円の入城料を払って城内へ。
けっこう急な坂を登ると、立派な菱の門が出迎えてくれましたが、またもや写真を撮り忘れました。ヘタレです。
お家芸
明治ごろに描かれたという鳥瞰図。浮世絵もそうだが、実際の風景や人物を想像で描いてしまう日本人。すごい。

ここで、今回の順路を写真を使いつつ説明。
素直に観光コースをたどらない人ゆえ、あとで調べると見てないところが結構ありました。 次行く時は素直に観光ルートに従いたいと思います。
城を出る寸前に撮影したので、ちょっと見づらいですが。(英語訳が直訳すぎて泣ける)
まず最初に、武者だまりをきれいに素通りしつつ、菱の門をくぐり、百八十度回頭のち西の丸への坂を上り、西の丸長局(百間廊下)を感心しつつわたります。
長局を出た後は観光コース通りに坂を下って、ろの門をくぐって二の丸へ。
「扇の勾配」と呼ばれる、曲線の美しい備前丸(本丸)の石垣を見上げつつ、ぬの門をくぐり、有名なお菊井を覗き込んで、りの門へ。
帯の櫓、腹切丸、帯郭櫓、井郭櫓、折曲櫓とめぐり、いよいよ大天守のそびえる本丸の備前門をくぐります。
天守群ではしゃいだのち、素直に本丸に戻らず、土塁と石垣の間の細い道を通って、天守閣裏側(北側・■囲2番、3番あたり)に回り込み、ほの門をくぐる。
塩櫓、腰曲輪を見て回り、への門、との門を経て、搦手門から下城しました。

さて、話は戻り、西の丸に入りました。
ここは、大天守築城後、池田輝政にかわって藩主となった本多忠政の下に嫁いだ徳川秀忠の娘・千姫が住んでいたとされる場所。
千姫の侍女たちが暮らした長局(長屋)のほかは、建物は残っておらず、広場になってます。
そんなことより、嬉々として城の塀に駆けよる私。 目当てのものは・・・・・・
狭間!
狭間(さま)です。
この狭間を覗き込み、弓を射る真似や鉄砲を撃つ真似をするのが、たける少年の城の楽しみ方の一つなのです!
狭間!!
はしゃぎつつ、狭間に頭を突っ込む大学生。 あやしい人間違いなし。
狭間とは、守備兵が鉄砲や弓を撃つ際に、身を隠しつつ射撃できるように塀や壁に設けられた、穴のこと。
壁の中心に向かって塀の内外からすぼまっていて、穴の大きさを最小限に絞っているほか、照準を定める際に上下左右に銃身を向けても、邪魔にならない工夫にもなっています。
穴の形は上の四角形が一般的ですが、下の写真のように、円、三角や、大きさなどもまちまちで、四角形のものは矢狭間、円や三角形のものは鉄砲狭間と呼ばれます。
△□○
△ ○

ちなみに上の写真は長局の終点・化粧櫓横の武者だまりのもの。綺麗に三種類並んでるので、思わず撮ってました。
このように、いろんな形の狭間は装飾目的もあるらしく、ここ姫路城くらいなものだそうです。
名古屋城や大阪城に上ったことがありますが、こんなにいっぱい穴があるのは初めて見ました。

人がいないことをいいことに、あちこち穴を変えては射撃体勢を取って楽しんだ後、靴を脱いで長局へ。
ここは、西の丸の西側の石垣に沿って建てられた長屋で、内側は、千姫の侍女が暮らしたという部屋がならび、外側は廊下になっていて、開閉式の狭間や石落とし(武者落とし)、窓が設けられています。
何箇所か途中に櫓が設けられていて、それぞれの櫓を回廊がつないでいるような印象で、「百間廊下」と呼ばれているようです。
長局入口
入口から数区間は、廊下というより横に何室もつながったアパートという感じ。部屋の仕切りは引き戸一枚と、プライバシーのへったくれもありません。
外側の窓の格子は、八角柱になっています。これも、鉄砲を構える際、銃身を振っても邪魔にならない工夫。
写真の左隅に見えるは、石落とし。石垣や塀をよじ登ってくる敵に対し、石や槍などを落として攻撃するための設備です。
石落としの周囲には、開閉式の狭間もありました。 石落としを撮らずして狭間は撮る狭間好きあり。
開閉式
しばらく歩くと妙に真新しい廊下の後に二階へ続く階段が。 日本の城郭に共通したことですが、何でこんなに急なのかと。
廊下1 部屋1

階段を上ると延々続く廊下と、それに並行して存在する長屋の部屋が。
広さは、六畳〜八畳ほどのものまで。侍女の中にも階級があったように伺えます。
部屋2 部屋木戸

部屋は木戸でつながってたり、つながってなかったり。
中には、部屋同士でつながっているものの、廊下にはつながっていない部屋も。 中は見れず、不思議に思ってしばらくうろうろしてました。
二部屋持ってた侍女がいたのか、それとも牢屋とか?
謎の穴 壁の外

窓のあたりをよく見ると、窓枠の下に小さな穴が。
筒状になっているらしく、壁の外側に突き出ていました。
周囲に説明を求めるも、どこにも記述なし。 排水管かゴミ捨てか。 目下謎の穴です。
廊下2 秘密世界への入口?

廊下の天井は高いものの、各部屋の敷居は低く、昔の人との体格差を感じます。
ある部屋には、屋根裏の櫓に上がるためらしき階段が。上った先は引き戸でとじられてます。
こういう隠し部屋みたいなの、憧れるわぁ。
長局マップ
父の影響か、こういう建物をつなぐ目的の回廊が好きな私。
怪しく行ったり来たりしながら、写真を撮っていると、いつの間にか北端の化粧櫓にたどり着いていました。
化粧櫓は、先述の千姫が嫁いだ際の化粧料(10万石)で建てられた櫓で、ここから毎朝、千姫が城の北にある男山八幡宮を拝んだと伝えられているそうです。
左下:長局内側  右下:長局南から化粧櫓・天守閣を望む
長局外1 長局2

さて、長局を出て、お次は二の丸へ。
西の丸→天守
ろの門へ向かう途中、天守を撮影。
こんなに近く見えても、たどり着くにはまだまだ時間がかかります。
ろの門をくぐって二の丸へ。
いの門左翼
目の前にひときわ高い塀出現!
いの門左の塀で、いの門の土台となる石垣の上に作られていて、門の前で固まった敵兵を横から撃つ仕組みらしい。
敵にしてみれば、右は空堀、左は西の丸と逃げ道がないから、門さえ守れば当て放題ということですね。 勉強になります。
写真の左隅の竹垣は、井戸を囲ったもの。
籠城戦の必需品と言えば、何を取ってもまずは水。 水堀には毒を投げ込まれる可能性が高いため、水の確保が築城に関して最大の課題となるわけです。
姫路城には33か所あった井戸のうち、13か所が残ってるそうです。

頑丈そうな石垣を眺めつつぬの門へ。 今後に生かせると思い写真に残しておきます。
ぬの門
ここでは、石垣によって直角に通路を曲げ、その先に門を設け、敵兵が固まりやすくしているようです。
門扉は木の表面に鉄を鋲止めして、何としても侵入させまいと防備を固めています。
窓の下の謎の穴、ここにも見受けられますが、こうしてみると固定機銃みたいに見えますね。
ひとしきり門の周りをうろうろしてから、広場へ進み出ると、
ひゅ〜どろどろ
有名なお菊の井戸です。
お菊とは、江戸時代の怪談物、『播州皿屋敷』のモデルになった、実在とされる人。
詳しくは各自で調べてもらいたいが、このお菊が投げ込まれた、または、身を投げた井戸がこの井戸という伝承。
史実に基づいた話なのですが、この史実、現在の姫路城が築城される前の姫路城の話だと聞くと、信憑性が薄れますね。
それでも鉄柵の中を覗きこんでみると、井戸の底に十円玉や百円玉がいっぱい落ちてました。
お菊井の次は「腹切丸」と呼称される帯曲輪。
周りを石垣と塀に囲まれた小さな空間の真ん中に井戸があって、坂の正面に設けられた櫓の建物が切腹の際に検死官が座する検死場に見えることから、いつの頃からか「腹切丸」の名前がついたとか。
本来は搦手門側の防衛拠点であり、実際に切腹の形状として使われたかは、疑問視されています。
石落とし 井郭櫓

本丸の石落としを見上げつつ、備前門の前にある井郭櫓へ。
この櫓はご覧の通り井戸があります。 ただ、由来を見るのを忘れ、なぜ井戸があるのか不明。
滑車に魅かれて思わず撮影した、なんてことはありません。

ようやく、備前門をくぐって本丸へ。
人が多いのでこの後はあまり写真が取れず。
本丸(備前丸)から天守閣を撮影。
大天守 西小天守 乾小天守

一通り見渡して、天守閣内部へ。
姫路城の天守は、池田輝政が築城した当時のものがそのまま現存しています。
五層六階地下一階建の大天守と、三層の小天守三基(西小天守、東小天守、乾小天守)とそれらをつなぐ渡櫓で構成された「連立式天守」という形式。
壁面全体が白漆喰で塗り籠められていて、防火・耐火・鉄砲への防御だけでなく、景観の美しさも兼ねています。
実際、戦火すらも免れたあたり、幸運だけでなく白漆喰も有効に作用しているようです。

ここでも靴を脱いで内部へ。
天守閣と言えば大阪城のみっともない模擬天守しか知らない私。
戦国の乱世から続く、本格的な城の装いに興味津々です。
最初に入った地階は弾薬などの武器庫がメイン。
照明も少なく、ほのかに明るい程度の広間の真中で、昭和の大修理で新調された東西の檜柱がどっしりと五層の天守を支えています。
やけに急勾配の階段を上って一階へ。
階段を上りきると
火縄銃!
種子島(火縄銃)がお出迎え。
十丁一列として、槍とともに掛けられていました。カッコイイ!
多分レプリカだろうけど、ショーケース越しにしか見たことがないので、思わず身を乗り出して注目してました。 他の人は素通りでしたけど。
一階からは姫路城の縄張や築城当時の絵図、姫路城ゆかりの品々が四階まで展示されています。

姫路城は、「内曲輪(うちくるわ)」と呼ばれる、通常の城に相当する平山城式の城塞を中心として、周辺に広がる「中曲輪(なかぐるわ)」・「外曲輪(そとぐるわ)」などの城下町まで水掘で囲って城塞都市となす、「総構え」と呼ばれる縄張形式。
この「総構え」は他に、大坂城や小田原城、江戸城など、領国経営の中心地、つまり首都としての機能を持つ城に多く見受けられる縄張です。
戦時には、各堀にかかる数か所の橋に設けられた関所を固めるだけで、中には入れなくなるので、籠城戦に強い縄張と言えます。
外曲輪を囲う外堀は、現在のJR姫路駅・山陽姫路駅あたりにあったそうで、とても広い敷地の城であったことがわかります。(堀の位置についてはこちらを参照)

歴代城主ゆかりの品々の並ぶ二階をすぎ、大天守のメインフロアたる三階・四階へ。
屋根によって高い位置にある窓を利用するための石打棚(左下)や、大きな入母屋破風の天井裏を利用した破風部屋(右下)など、天守防衛の要としての機能が備えられています。
石打棚 破風部屋

石打棚の下にある小さな扉は内室と呼ばれる、破風内部にある小部屋で、弾薬などの倉庫になってるそうです。
また、三階には、東西二本の新旧の心柱が継がれている部分が見られます。磨き上げられた職人の技に脱帽。
特に展示物もない五階を通りすぎ、最上階へ。
最上階には、この姫路城の守護神とされる刑部大神を祀っています。 写真は憚られました。
その代り、窓からの景色をペタリ。

私だけ大好き西の丸!
西の丸方面。
シャチホコかわええ
南側。真中右寄りにまっすぐ延びる道が大手前通り。
この道の行き止まりにある駅ビル辺りまでがこの城の総構え区画です。
=石清水八幡宮+男山?
西側。手前の建物は乾小天守。
中央の丘は、千姫が毎日拝んでいたという男山八幡宮。

大天守を下り、渡櫓から小天守(西小天守?)へ。
ここには修復工事の際に出た発掘物が展示されていました。
精巧な姫路城の骨組みの模型や、姫路城全体の復元模型が置かれた部屋のあと、靴を履いて外へ。
そのままルートにそって行こうと思いましたが、前方右になにやら門を見つけくぐってみました。

あとから調べると水三門という場所だったらしく、天守閣の石垣と塀に挟まれた坂道を登って水二門へ。
後述の参照ページによると、この先にあるほの門から攻めて来た敵兵が水二門をくぐった際、下り坂になっているため、本当に天守閣へ攻め上っているのか、と疑問を抱かせるための仕掛けだそうです。
そんな仕掛けがあるとは知らず、天守閣裏側へ。
ここは腰曲輪と呼ばれ、これまた籠城戦に必要不可欠な塩が大量に保管されていた塩櫓があります。

空が薄暗くなってきたし、丁度いい時間(3時くらい)になってきたので撤収することに。
古めかしい「との門」
最後に、ほかの門とは一風変わった、との門をくぐって、搦手門から脱出です。
お疲れ様でした。


2009年3月5日 午後3時30分

「帰り道、思うこと」


中々冷めぬハイテンションのまま、またも直通特急に乗って帰宅の途につきました。
なんか、記憶にある限り初めて、本格的な戦国の城を攻略したおかげか、すごく楽しかった。
下手に作り物のテーマパークに行くより、こちらの方が数倍面白く感じるのが私という人間らしい。
ドタバタしてて、半分くらいしか堪能できなかったけど、大満足。
時間ができたら、今度は早起きして、ゆっくり城内を散策してみたいなぁ。

ドタバタしたけど、新しい自分の発見や、今後の創作活動のいい刺激を得られた、良い旅になったと思います。
最後までお付き合いいただきまして、誠にありがとうございました。

そして、今回のベストショット!!
かいしん の しょっと !


執筆に際して参考にさせていただいたページ
世界文化遺産 国宝姫路城 バーチャル探索
姫路城バーチャルツアーの多言語展開を目指しているボランティアグループ・はとくろわの会が運営するページです
姫路城 - Wikipedia

第77暗礁宙域弐号コロニー宙域 : 武尊

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